パトカーの追跡

まずは記事の引用から

パトカーに追跡され、バイクはね死なす…京都
 20日午前3時30分ごろ、京都市南区の国道171号交差点で、同市南区、無職赤木勝容疑者(36)の乗用車が信号無視したのを京都府警自動車警ら隊のパトカーが発見、停止を求めたが、赤木容疑者は逃走した。

 
約3分後、北約1・8キロの府道交差点で、赤木容疑者の車が、同市東山区、会社員長町幸一さん(41)のミニバイクと出合い頭に衝突した。長町さんは全身を打って間もなく死亡した。

 
駆けつけた同隊員が、赤木容疑者を道交法違反(信号無視)の現行犯で逮捕。府警は業務上過失致死の疑いでも調べる。赤木容疑者は無免許で「ばれるのが怖くて逃げた」と供述しているという。

 
温井均・府警自動車警ら隊副隊長は「適正な追跡と考えているが、第三者が亡くなる痛ましい結果になり残念」とのコメントを出した。


2005年9月20日11時48分 読売新聞より引用

まあ100%無免許運転した運転手が悪いわけですが何か追跡した警察の方が悪いと言う印象を受けます。

被害者の家族からしてみれば“追跡されなかったら長町さんは死なずに済んだ”と思って仕方の無いと考えることも出来ますが犯人が『無免許』かつ『信号無視』をしなければ警察に見つかることも追跡されることはありえないことです。

警察も“事故が起きるかもしれない”という認識の下で追跡を行わなければいけないことも確かですがこの犯人のように『逃げる』ことは言語道断です。逃げても罪は消えませんし、逆に重くなるだけだと思います。


覚悟を決めるときは覚悟を決める。大人なら覚悟を持って決めてください。交通事故で人の命を奪うことは紛れも無い『殺人』であり許されるべきではありません。事故を起こしたくなければ歩けばいいんです。いま、原油高でガソリンも高いですしね。


何はともあれ被害者の方のご冥福をお祈りいたします。

虫の音

虫の声を聞くのは風流なものです。

が・・・

虫がスキってわけじゃないので実物を見るのはイヤです。鈴虫も聞くのは良いのですが見るのはとんでもない。


今日、北海道では初冠雪が確認されたみたいです。去年より早いとお天気キャスターが言っていました。夏が終わったかと思えば北では雪ですか。日本は細長い島国であることを実感した思いです。

夫婦別姓の問題点

前にも書きましたが私は反対の立場。これは揺らぐことはありません。

周りの国が実践しているから、免許証などの公的なものが旧姓で取得できない、精神的に嫌、相手方の両親と同居するのが嫌、と。これが理由らしいですね。全く論理性の微塵も感じないこの理由。別に“理由に論理を持たせなければいけない”とは言いませんが幼稚すぎる理由です。


まず周辺及び他国が認めているから。

理由になりません。他は他であって自国では無いからです。比較することは出来ても理由にすることは出来ません。憲法改正に反対している人もいますが国際的に改正している国の方が多いから改正するべき、なんてこと言っても誰も賛成してくれないと思います。明確な自分の意見を述べないでデータだけを示して賛成を得ようなんて愚の骨頂です。

皆が持っているから、買って! 小学校の低学年ぐらいまで言っていました。そのとき決まって親は“あなたは○○ちゃんではないでしょう。他人は他人自分は自分よ”と母に言われ続けていた記憶を鮮明に思い出すことが出来ます。賛成を得たいのなら自分の意見をしっかりと持ち主張するしかないのです。データは理由を保証するものでしかないからです。


次に公的なもの(免許証やパスポートなど)が取得できない。

理由にはなるかもしれませんが自分勝手という感じを拭いきれません。仕事場では「通称」を使用することが出来ますし、もし認めてもらえないのであれば『差別』と主張することも出来るでしょう。それ以外で使う必要があるでしょうか? 仕事場での問題はありますが他はあまり必要性を感じません。

公的な証明はあくまでも証明であってその人のことではないと思います。証明にしか過ぎないのです。だって顔に免許証を貼り付けてる訳じゃないでしょ? 自分をしっかり持てば問題ないはずです。


精神的に嫌。

これが一番理由らしい理由だと思います。相手の姓を名乗るのが嫌。分かりますね、やっぱり。自分が今まで名乗ってきたのに使えなくなるなんて我慢できないと思います。でも、納得した上で結婚する訳ですし所詮、紙切れ一枚の問題でしかありません。まあ実際にはもっと多いのかもしれませんが所詮紙です。燃やすことも出来れば破ることも出来る。

色々言われそうですが好きになって結婚するのにそれ以上に大切なんでしょうか? 苗字が変わるのが嫌だ、と言うのが先に頭の中に思い浮かぶのであれば本当に相手を好きだと言えるのでしょうか? 現実的ではないと皆さんは仰るかも知れませんが実際どうなんですか?


相手の両親と同居するのが嫌。

まあこれも分からない理由ではありません。ですが、自分を育ててくれた両親に孝行するのは当たり前のことではありませんか? 皆さんは感謝の気持ちを両親に対して抱いていないのでしょうか? もし、そうなのであればそれはそれで『問題』です。『相手の』って言う言葉が前につくと違うのかもしれませんが同居まではしなくても面倒を見るのは子として当然の義務だと思います。



以下が私の意見です。

でも大きな問題があるのを忘れないで下さい。
子供に名前をつけるときにどうするのですか? 名と姓は違います。名は自由に決めることに対してほぼ全ての人が嫌悪感を抱くことは無いと思います。

ですが、苗字の場合はどうでしょうか? 自分は父親の苗字が良かったのにとか母親の苗字が良かったのにとか思いませんか? 少なくとも私は嫌です。苗字を法律で両親どちらかの苗字を強制的につけられると言うのなら別に嫌ではないですが両親の意思で決められるのは嫌です。もし、母親の苗字だったら自分は父親に嫌われているんじゃないのか? って思わなくてもいいことまで考え込んでしまう可能性があります。皆さんだってそうでしょう?

子供の名前は強制的に父親か母親の苗字を名乗るかを決めた方がいいと思います。両親の意思が少しでも介入していると問題が多く析出してきます。

夫婦別姓を認めるのであるなら子供の苗字は父親の姓を名乗らせることがベターだと思います。でもここで『女性差別論』が出てくるわけですよね。うざったいぐらいに。夫婦別姓を求めているのであって子供に自分の姓を名乗らせたいってことじゃないはずです。目的を履き違えないで下さい。息子・娘で名乗らせる姓を分けるのも論外です。きっと家族内で軋轢が生じると思います。

夫婦別姓を求めるのであれば別姓にするか同姓にするかは選択できるところまでは認めることが出来ても子供の姓を選択するのは認めることが出来ません。法律で決めるべきです。そしてそれは父親の姓が望ましい。最低限求めるべきものは『夫婦の』別姓であるはずです。家族での別姓ではない。求めるもの・譲ることが出来るものをしっかり考えて権利を求めるべきです。


これは私の意見であって全体の意見ではありません。他にもたくさんの意見があっていいはずですし、もちろんその中には賛成派の意見があってもおかしくありませんし、それを願っています。一つの論の中で議論するのは不毛です。

あれっ そうだっけ?

日本と韓国は戦争をしていない


………ってそうだっけ?


友達と話していてここで意見が食い違ったんです。私は日本は戦争をしていたものと勘違いをしていました。韓国が靖国参拝についてものすごい剣幕で“参拝するな”と言ってくるものですから。まぁ秀吉のことを言われたらお終いですけどね。


A級戦犯つまり平和への罪を犯した人の合祀に反対し、靖国神社の参拝を止めろと言ってくるのは何故でしょうか? 中国が主張してくるのは理解できるのですが韓国が言ってくることに正当性を感じません。韓国は多分『日韓併合』の話を取り上げてくるものと思うのですがこのことについても国際的に少なからず評価されていることです。

ここで問題が生じます。
A級戦犯とは『太平洋戦争』についての戦争犯罪であり、東京裁判でも太平洋戦争のことしか裁かれていません。それ以前から韓国は日本に併合されていたのにA級戦犯の合祀は問題とかクレームをつけてくることは理解できません。簡単に言えば日本の裁判で裁かれた戦争犯罪に関しては韓国は無関係なのです。もっと言ってしまえば韓国は太平洋戦争時は併合されていて『日本国』の一員であったのだから謝罪しなければならない立場ということにもなりますがこれは横暴な意見ですね。


以上のことより韓国がいかに“わが国の国民の感情を傷つける行為”とか言っても説得力のかけらも無い訳です。

永住外国人に対しての参政権

今回、選挙特番では多くのテレビ局がメールやFAXで意見を集めテロップに張り出していました。その中で『永住外国人にも投票できるようにして欲しい』という意見がありましたのでそのことについて意見を書きたいと思います。


選挙権すなわち参政権ですがこれは日本国民にのみ与えられた権利です。
簡単に言えば『日本国籍を取得』すれば万事うまくいくわけですね。ではなぜ参政権を求める人たちは国籍を取得使用としないのかと言うと『日本に対して良いイメージがない』とか、『祖国に愛着がある』という理由が大多数を占めるのではないでしょうか? こんな人たちに参政権を与えるのは国益を損なうばかりか『内政干渉』にも当たると私は考えます。住む場所が違えばルールや慣習も違ってくるのです。


『郷に入れば郷に従え』嫌なら郷から出て行くしかないのです。


地方だけに限定すれば内政干渉ではないと主張している国会議員や団体も少なからずいますが本当にそうなのでしょうか?

今は『三位一体の改革』を推し進めている状態です。教育分野などの国の根幹に当たる大きな権限が移譲されている状態なのです。私はこの改革の中で地方参政権を認めてしまうことはやはり『内政干渉』に抵触してしまう恐れが多々あるのではないかと思います。


永住外国人はあくまで『外国人』であって日本人ではないのです。外国人でも日本に永住権があるのだから『日本人としての権利』が欲しいというのは我が侭でしかありません。権利が欲しいのであればそれなりの対価を支払うことが必要なのではないでしょうか。それが日本の国籍を取得することだと思います。

差別とは何か

日常的に『差別』と言う言葉が日本中を駆け巡っているような気がします。

皆さんは『差別』とは何だと思いますか?


ある団体では『男らしさ』・『女らしさ』が差別に当たると主張していますが、本当にそう

なのでしょうか?

女性から『女らしさ』を取り除いてしまったら何が残るのでしょうか? ヒトとなるのでし

ょうか。私に言わせればばかげている話です。女性は女らしくていいと思います。かわいく

なりたい、キレイになりたいと思うのは『女らしさ』ではないのでしょうか? 本当にこの

ようなものを無くしてしまって良いのでしょうか? 私には分かりません。男性の場合も同

じだと思います。


そのうち『男性』・『女性』という言葉もなくなってしまうかもしれませんね。私はそんな

変な国に暮らしたくはないです。


次に『男女』は男が前にあるから女性差別だ! 訳の分からないことを言っている人たちも

います。『子供』が差別表現だ。と言うのとなんら変わらない議論です。『女男』にしろと

言っているのでしょうか?もう本当に訳が分かりません。私は『男女』が差別用語だとかけ

らほども思っていませんし、女性全体がその様に主張しているかと思わせるような発言はし

て欲しくないです。一部の女性だけです。少なくとも私は思ってはいません。


上巳の節句端午の節句。上巳の節句は『女の子の日』です。3月3日ですね。雛人形を飾る

んですが楽しい日です。ただし、ひな祭りは休日ではないのが差別だと言っている人もいる

んですね。これって『天皇誕生日』は休みなのに『自分の誕生日』は休みじゃないのは差別

だと言っているのと変わらない。それに端午の節句は『男の子の日』ですがこの日は『こど

もの日』とされてしまっているんです。逆に言えば男の子の方がかわいそうです。五月人形

と鯉のぼりは女の子で言う『雛人形』と同じで両方とも『男の子のもの』です。でも今では

お構いなしに大空を泳いでいます。ちなみに私の家では弟がいるので毎年揚げています。

でも、このような江戸時代から続いている『古きよき文化』を象徴するようなものを無くそ

うとしている団体があるのが現実です。二つの行事が『男らしさ』・『女らしさ』を象徴し

ているのが理由だそうです。


先述しているのは全て『ジェンダーフリー』の中身です。

もともとジェンダーフリーと言うのは男性と女性の就職面や生活面での差別を無くして同等

のものにしようと言うのが目的であったものと聞いています。ですが、ここまで徹底的に行

ってしまうと『同等』を通り越して『同質』のものになってしまうかも知れません。本当に

それが正しいのでしょうか? 学校教育では以下のことが行われているようです。