夫婦別姓の問題点

前にも書きましたが私は反対の立場。これは揺らぐことはありません。

周りの国が実践しているから、免許証などの公的なものが旧姓で取得できない、精神的に嫌、相手方の両親と同居するのが嫌、と。これが理由らしいですね。全く論理性の微塵も感じないこの理由。別に“理由に論理を持たせなければいけない”とは言いませんが幼稚すぎる理由です。


まず周辺及び他国が認めているから。

理由になりません。他は他であって自国では無いからです。比較することは出来ても理由にすることは出来ません。憲法改正に反対している人もいますが国際的に改正している国の方が多いから改正するべき、なんてこと言っても誰も賛成してくれないと思います。明確な自分の意見を述べないでデータだけを示して賛成を得ようなんて愚の骨頂です。

皆が持っているから、買って! 小学校の低学年ぐらいまで言っていました。そのとき決まって親は“あなたは○○ちゃんではないでしょう。他人は他人自分は自分よ”と母に言われ続けていた記憶を鮮明に思い出すことが出来ます。賛成を得たいのなら自分の意見をしっかりと持ち主張するしかないのです。データは理由を保証するものでしかないからです。


次に公的なもの(免許証やパスポートなど)が取得できない。

理由にはなるかもしれませんが自分勝手という感じを拭いきれません。仕事場では「通称」を使用することが出来ますし、もし認めてもらえないのであれば『差別』と主張することも出来るでしょう。それ以外で使う必要があるでしょうか? 仕事場での問題はありますが他はあまり必要性を感じません。

公的な証明はあくまでも証明であってその人のことではないと思います。証明にしか過ぎないのです。だって顔に免許証を貼り付けてる訳じゃないでしょ? 自分をしっかり持てば問題ないはずです。


精神的に嫌。

これが一番理由らしい理由だと思います。相手の姓を名乗るのが嫌。分かりますね、やっぱり。自分が今まで名乗ってきたのに使えなくなるなんて我慢できないと思います。でも、納得した上で結婚する訳ですし所詮、紙切れ一枚の問題でしかありません。まあ実際にはもっと多いのかもしれませんが所詮紙です。燃やすことも出来れば破ることも出来る。

色々言われそうですが好きになって結婚するのにそれ以上に大切なんでしょうか? 苗字が変わるのが嫌だ、と言うのが先に頭の中に思い浮かぶのであれば本当に相手を好きだと言えるのでしょうか? 現実的ではないと皆さんは仰るかも知れませんが実際どうなんですか?


相手の両親と同居するのが嫌。

まあこれも分からない理由ではありません。ですが、自分を育ててくれた両親に孝行するのは当たり前のことではありませんか? 皆さんは感謝の気持ちを両親に対して抱いていないのでしょうか? もし、そうなのであればそれはそれで『問題』です。『相手の』って言う言葉が前につくと違うのかもしれませんが同居まではしなくても面倒を見るのは子として当然の義務だと思います。



以下が私の意見です。

でも大きな問題があるのを忘れないで下さい。
子供に名前をつけるときにどうするのですか? 名と姓は違います。名は自由に決めることに対してほぼ全ての人が嫌悪感を抱くことは無いと思います。

ですが、苗字の場合はどうでしょうか? 自分は父親の苗字が良かったのにとか母親の苗字が良かったのにとか思いませんか? 少なくとも私は嫌です。苗字を法律で両親どちらかの苗字を強制的につけられると言うのなら別に嫌ではないですが両親の意思で決められるのは嫌です。もし、母親の苗字だったら自分は父親に嫌われているんじゃないのか? って思わなくてもいいことまで考え込んでしまう可能性があります。皆さんだってそうでしょう?

子供の名前は強制的に父親か母親の苗字を名乗るかを決めた方がいいと思います。両親の意思が少しでも介入していると問題が多く析出してきます。

夫婦別姓を認めるのであるなら子供の苗字は父親の姓を名乗らせることがベターだと思います。でもここで『女性差別論』が出てくるわけですよね。うざったいぐらいに。夫婦別姓を求めているのであって子供に自分の姓を名乗らせたいってことじゃないはずです。目的を履き違えないで下さい。息子・娘で名乗らせる姓を分けるのも論外です。きっと家族内で軋轢が生じると思います。

夫婦別姓を求めるのであれば別姓にするか同姓にするかは選択できるところまでは認めることが出来ても子供の姓を選択するのは認めることが出来ません。法律で決めるべきです。そしてそれは父親の姓が望ましい。最低限求めるべきものは『夫婦の』別姓であるはずです。家族での別姓ではない。求めるもの・譲ることが出来るものをしっかり考えて権利を求めるべきです。


これは私の意見であって全体の意見ではありません。他にもたくさんの意見があっていいはずですし、もちろんその中には賛成派の意見があってもおかしくありませんし、それを願っています。一つの論の中で議論するのは不毛です。